長崎スパゲッチー日本発の国産パスタを復刻。
復刻されたのには、意味がある。弾力のあるモチモチした触感は、妥協のないこだわりの技。 明治16年(1883年)頃。黒崎村出津の里(現在の長崎市西出津村)に赴任したフランス人宣教師マルコ・マリー・ド・ロ神父は、布教の傍ら、現地に煉瓦造・平屋建のマカロニ工場を建設し、村人と一緒にパスタの製造を始めたと言われています。日本初の国産パスタは、手延製法にこだわりながら「ド・ロ神父の愛と長崎のやさしい心」をたっぷり詰めて誕生しました。 |
日本パスタのルーツは長崎にあり。
時に明治16年(1883年)頃。長崎の黒崎村出津村(現在の長崎市外海町)に赴任したフランス人宣教師マルコ・マリー・ド・ロ神父は、布教の傍ら、現地に煉瓦造・平屋建のマカロニ工場を建設し、村人と一緒にパスタの製造を始めたと言われています。 これが日本において「初めて生産されたパスタ」となりました。今や、約30万トンの消費量を誇り、子供からお年寄りまで愛される国民食となった「スパゲティ料理」ですが、そのルーツは長崎でした。
ド・ロ神父が伝えたかった「マンマの味」復刻された「長崎スパゲッチー」は、往時の手延製法そのままに、神父が伝えたかったテイストに限りなく近づける為の「独自の配合と製麺技術」への研究を通して、伝来の原点を髣髴とさせる味わいが完成しました。パスタらしい「弾力のある食感」と日本古来の手延製法ならではの「もちもちした食感」が特徴です。 神父が教えたパスタ作りには、遠い故郷であるフランスやヨーロッパ、そして「マンマの味(お母さんの味)」へのオマージュが込められていたに違いありません。 |
旧出津救助院(マカロニ工場) 日本古来の手延製法 |
マルコ・マリー・ド・ロ神父Marc Marie de Rotz (1840-1914)
ド・ロ神父はパンやマカロニなどの製法だけでなく施設建設や事業のために私財を惜しみなく投じ、フランスで身につけた農業・印刷・医療・土木・建築・工業・養蚕業などの広範な分野に渡る技術を当時、貧しかった外海(現在の長崎市)の人々に教えました。私財を投じて地域の経済発展に貢献した神父の深い愛と人間愛に根差した偉業や遺徳は今もなお輝き、「ド・ロさま」と呼ばれ、多くの人々から敬愛されています。 |